本堂
「国上やま苔の岩みちふみならし幾度われはまいりけらしも」と良寛上人が詠まれた国上山国上寺は新潟県燕市国上1407番地に在り、現在より約1300年前になる、元明天皇の時代、和銅2年に弥彦大明神の詫宣によりて建立されました。
本尊は上品上生阿弥陀如来であり、行基菩薩の御作として伝えられており、聖武天皇のお后である光明皇后より奉納されました。その時以来、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のよりどころとなっております。
本尊のご開帳は12年に1度の貴重な行事で、昔から新潟や、とりわけ地元では「今年は子の年、国上の開帳」と謡われています。
大師堂
宝永八年に建造されて、弘法大師像を安置しており、大師堂または御影堂と呼ばれています。特に縁結び大師として尊ばれています。
又、本堂(阿弥陀堂)を建立している間、長きに亘って御本尊阿弥陀如来・脇侍等を安置していたことから、「御仮堂」とも言われています。
棟札には、下記の願文・趣旨が書かれています。
大檀那征夷幕下源家宣公及至国郡都合力
結縁中堂一宇
宝永八年辛卯仲夏大吉辰 敬白
大願主国上寺前住法印隆恭現住法印祐算
安養院
普賢院 萬元
宝珠院 尚春
本覚院 忍戒
注1.宝永8年・正徳元年(1711)国上寺住職祐算は中興五世であり、翌年中興六世泰全となります。
注2.その年、落成間近にして本堂焼失、萬元は再び住職と協力、再建したものが現本堂です。
五合庵
「焚くほどは 風がもてくる落葉かな」
良寛直筆の、この落葉の句碑が五合庵のそばに建てられております。
五合庵は良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵であります。
五合庵の名は国上寺の客僧萬元が貫主良長の扶養を受け、毎日粗米五合を寄せて頭陀の労を援けたことによって名づけられました。
現在の堂宇は良寛在庵時のままではなく、大正3年の再建になっております。
白木造藁葺、間口2間、奥行9尺、面積4.5坪
水子子育地蔵
方丈講堂(別称:客殿)
元文2年(西暦1737年)に建てられ、ここに安置されている千手観世音菩薩像は、
戦国武将上杉謙信公、長岡藩主牧野公もが信心された霊尊と伝えられています。
厄除け・交通安全などのご祈祷を、このお堂で日々厳修しております。
又、越後三十三観音霊場の第二十二番札所の観音様として知られています。
《平成23年 県文化財に指定されました》
六角堂
六角堂
文治3年(1187)兄源頼朝に追われる身となった弟義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州、藤原秀衡を頼って落ちのびる途中、寺泊を経て当寺に参詣、今後の無事を祈願して持仏の大黒天木像を寄進したといわれています。
その後は、当寺に秘蔵されて来ましたが、文化3年(1816)に至り、霊夢により招福利益のために六角堂を建立し、大黒天像が本尊として安置されました。
大黒天像銘
奉刻 開運富貴尊像
治承四年正月朔日 源義経華押